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任天堂の苦境:ソフトウェア編【2】

「マリオ」は誰のものか

 一般論としては「ゲームはクリエイターのものか、ユーザーのものか」という問い掛けはよく耳にする所です。

 しかし「マリオ」は、と問われるならば、これは間違いなく、他の誰のものでもない、生みの親である宮本茂氏のもので「あるべき」しょう。

 すなわち、ゲームがクリエイターの手を離れる、という事がどこまで許容されるべきか、という疑問です。マリオ自体はゲームのキャラクター、あくまでもゲームというクリエイティブの産物です。マリオから派生するものはあっても、マリオ自身が何かを生み出す訳ではありません。

 前にも申しましたが、任天堂のキャラクターとは、ゲームデザインを表現する為の「手段」との位置づけです。特にマリオとは宮本氏のゲームデザインを表現する為の手段として誕生したはずです。ならば他者がそのキャラクター自体をゲーム制作の「手段」や「目的」として用いる事はあるべき姿ではないでしょう。

 まさにこの一点を持ってしても、今の任天堂はあるべき姿ではないと言える訳です。

 また、任天堂の他のクリエイターがマリオを作る事は、長い目で見て誰の為にもならない、というのは、現在の任天堂が身を持って実感している事と思います。

 会社の都合のほかには、リスペクトやオマージュ等、他のクリエイターがマリオを作る際の動機づけの言葉は様々あっても、マリオを作っている以上、その評価は第一義的にはマリオの評価です。すなわち、宮本氏を超える作品を生み出すことは事実上不可能ではないでしょうか。

 宮本氏が、これは自分では出来なかったと思ったとしても、世間は宮本氏のマリオを超えた、と評価してもらえるでしょうか。

つまりは、宮本氏自身がディレクター等現場で深く関わったものにしか「マリオ」の名を冠してはいけないのだと思います。

 それはまさにマリオを手掛けた他のクリエイターのクリエイティブに対する尊厳としてでもあります。

 マリオを自らの手に取り戻し、マリオにもう一度魂を吹き込む事、そして任天堂をマリオから自由にする事、それが、宮本氏の今最も大切な仕事ではないかと考えます。

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