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任天堂の苦境:ソフトウェア編【1】

 解決策、と言いますか、方向性。これは簡単です。

「マリオ」や「ゼルダ(リンク)」でのゲーム制作を一旦封印する事。

これに尽きます。

 例えば、「世代交代」とはどのような状況で待望されるのでしょうか。これは
「同じ人が新しい事をやり続ける」のと、
「違う人が他と同じような事をやる」のでは、
どちらが評価されるのか、という事でしょう。
 ここでいう「人」とは、ゲームにおけるクリエイターの事でもあり、キャラクターの事でもあります。世代交代とは、上記の評価が逆転し、前者よりも後者が評価される状況ではないでしょうか。

 例え様々なクリエイターが次々と新たな価値感を生み出しても、同じゲームのキャラクターである場合、 そのキャラ自体も商品の一部である事により、変わらぬ高評価を受け続ける事は難しくなります。

キャラ自体が飽きられるからです。

 ユーザーの「またマリオか」という声の「本質」に任天堂は真摯に向き合っていないのです。
 遊んでもらえばわかる、などというのは、すでに敗北しているどころか、勝負すら出来ないのが現状。現実です。 ユーザーは分かる必要がないからです。任天堂自身が言っています。ゲームはユーザーにとって娯楽なのですから。 無くてもいいものですから。マリオと聞くだけで手に取らない人たちがいる事に深刻にならないと。 分かりたいと思わせないと。その点でもマリオは不利なのです。プレイしなくてもだいたい分かりますから。

 マリオというキャラ自体を売りにした時点で、見えない縛りがある事に気付いているはずです。
 極端な例を言えば、マリオが禿げていてもユーザーは普通に受け入れるはずです。 しかし任天堂自身には、もうそれが出来ません。出来ない何らかの理由を述べてしまうでしょう。

 そもそも任天堂のゲームキャラとは、ゲームデザインを表現するための「手段」でしかなかったはずです。 なのに最近は、キャラ自体を売りにしています。マリオの、ゼルダの新作出すから買ってと言っています。 キャラからゲームを発想するなど本末転倒です。

問題はまさに任天堂の存在意義にまで関わって来ているのです。

 家庭用(据置型)ゲームが、任天堂が限界と言う以前に、マリオが限界である、とは言えるでしょう。 マリオがソフトウェアからハードウェアまで、全ての重荷になっていると言えます。

 常に新しいものを求めてきたのがゲームです。

「そのアイディア、マリオでやろう」

 というのは、ゲームはいつの時代も子供たちのために、という任天堂の趣旨からも外れるものです。 今やゲームを子供に初めて買い与える親もゲーム世代なのです。
 ゲーム世代の親という立場であれば、マリオなら子供に安心して買い与えられる、という思いもありましょうが、 その親が子供の時、手に取ったマリオに、安心感や確実性を求めたでしょうか。全く逆です。 極端に言えば、今のマリオには飽きたけれど、という親世代の空気までもが子供に伝わっている気がします。 そんな子供たちが自分でゲームを選べる、買えるようになった時、再びマリオを手に取るでしょうか。

 そうです、もうマリオで遊ぶ人は居なくなってしまうではないですか。

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